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はじめに

~笑気吸入鎮静法を上手に使うために~

歯科医療が充填や義歯の装着といった本質的なものだけでなく、より審美的に、より機能的にと求められてきました。なかでも治療の苦痛を減らし、安全で安心できる歯科治療の環境を、患者さんたちは選びはじめています。このような時代にあった価値観のなかで、歯科医は新しい感覚の歯科サービスを考え、付加価値の高い歯科医療を提供し、地域医療のなかの信頼を確立しなければならないようです。
笑気吸入鎮静法は患者さんを大切にする意味から、これからの歯科医療に欠かせないものです。そこでこのガイドブックでは笑気吸入鎮静法の用い方について、わかりやすく述べてみました。

 

I.患者さんにやさしい歯科治療のために

1.「歯の治療は嫌い」と言われない時代へ

「歯の治療は嫌い」と言われない時代へ

血液とタービンの水しぶきにまみれ、あるいは針の穴より小さい根管を求めて神経をすり減らし、そしてきれいになった患者さんの口元からでる言葉は皮肉にも「歯の治療は嫌い」。昨今の歯科臨床技術はめまぐるしく発展していますが、この状況は昔からほとんど変わらないままです。
確かに診療室の雰囲気は独特であり、子供や恐怖心の強い患者さんでなくても歯科治療に対しては「嫌だな」という思いがあります。
この歯科治療の恐怖や不安から患者さんを解放させるものとして、長い医療の歴史のなかで確立されてきたものが、笑気吸入鎮静法です。笑気は誰もが持つ「嫌だな」という気持をやわらげることができます。
笑気吸入鎮静法を用いることで、歯科治療に対して「好き」とはいかないまでも「嫌い」と言われなくなれば、多くの人々は自分の健康のために、素直に歯科医院へ通うようになるでしょう。それはすなわち、「歯科疾患を減少させる」という私たち医療人の目標に、大きく貢献するものと思います。

 

2.ストレスから患者さんを守る

ストレスから患者さんを守る

歯科医院を訪れる内科的慢性疾患を持った患者さんのほとんどは、通常の生活ではあまり症状を現しません。しかし、なんらかのストレスや負荷が加わったときに急性症状が出現し、病状の悪化をもたらします。患者さんがこのような状況に至るのを未然に防ぐためには、歯科治療中における患者さんの精神と肉体の安静を保障する事が第一です。
精神鎮静法は患者さんをストレスから守り、精神を安静にさせる事によって、このような偶発症の発生を防止するのに非常に有効です。また、慢性疾患を持つ患者さんはその疾患の治療を優先するために、やむを得ず歯科疾患を放置する傾向にあります。そうなると当然歯科疾患は重症化し、治療に際しては外科的侵襲を加えざるをえないケースが多くみられます。この場合はまさに精神鎮静法の適応であり、積極的に使用することで安全な歯科治療を提供します。このことが、歯科医が行う全身管理といえるでしょう。

 

II.精神鎮静法について

1.鎮静された患者さんの状態とは

鎮静された患者さんの状態とは

精神鎮静薬は中枢神経の機能を抑制しますが、呼吸、循環、反射機能を抑制することはなく、あくまで患者さんの意識は保たれた状態にあります。思考に関しては、その統合が困難になり、そのことが恐怖心をつくれなくします。そこで患者さんは恐怖心や不快感といった精神的ストレスから解放され、穏やかな表情を呈し、リラックスした状態になります。目は半眼状態で、呼びかければ開眼し、開口や岐合などの指示に従うことができます。
局所麻酔などの疼痛刺激に対しては、鎮静によって疼痛閾値が上昇しており、患者さんの感じる痛みは比較的軽度に抑えられます。また、時間の経過をあまり気にしなくなり、治療時間が長くなっても治療を受け入れることができます。使用する薬剤によっては健忘効果を有するものがあり、これは治療における痛みや不快感、疲労感を治療後には忘れさせてしまいます。
実際に患者さんが経験する状況としては、おおむねお酒を飲んだときのほろ酔い気分に似た多幸感があります。こうして患者さんの協力を得て、治療を円滑かつ安全に行うことができます。

 

2.精神鎮静法は全身麻酔ではない

精神鎮静法は全身麻酔ではない

全身麻酔は、生理的な反射や代謝の変化、呼吸循環機能の低下など病態生理学的な点において、精神鎮静法とは全く異なった態度を示します。特に全身麻酔では意識を消失させるために、患者さんの体調に異変が起こった場合、患者さんはそれを不快症状として訴えることができません。したがって、血圧計や心電図など各種モニターからそれを推測し、対処しなければならず、そこで十分な知識と技術、経験、設備が必要となります。
一方、精神鎮静法は患者さんの意識を消失させません。つまりもし患者さんの体調に異変が起こった場合、患者さんは不快症状として訴えることが可能であり、それによって術者は状況を把握し、患者さんは指示に従うことができます。また、呼吸器系や循環器系は特に抑制されず安定しています。そして、使用する薬剤は少量であり、肝臓や腎臓に対する影響はほとんど問題ありません。これらのことは精神鎮静法が全身麻酔に比べてはるかに安全性の高い方法であることを示しています。

 

III.笑気吸入鎮静法とは

1.笑気吸入鎮静法の効果

笑気吸入鎮静法は、笑気吸入装置で30%以下の低濃度笑気と70%以上の酸素を混合し、専用の鼻マスクを用いて患者さんに鼻から吸入させます。笑気の臭いはほのかに甘い香りで、違和感なく気持よく吸入できます。吸入された笑気は、肺から血中に急速に溶け込み、5分以内に鎮静状態に到達します。逆に、血中からの排泄も非常に速く、笑気の吸入濃度を変えることによって鎮静度を迅速にコントロールすることが可能です。そして笑気の吸入を停止すれば、いつでも速やかに鎮静状態から回復します。治療終了後は、患者さんを長時間観察する必要もなく、数分で帰宅させることができます。

 

2.笑気吸入鎮静法に対する実感

笑気吸入鎮静法に対する実感

10~20%の笑気吸入で体が暖かくなり、手足の先がぴりぴりした感じがしてきます。20~30%では口の周りのしびれや、体が軽くなってきます。また、遠くの方で音がするような感じがしたりします。このころになると、ぼんやりした非常に心地よい楽しい気分になり、体が重く感じたり、逆に軽く感じたりして、痛み感覚も相当鈍くなってきます。しかし、さらに濃度を上げると、発汗がみられ、健忘を伴い、眠気がしてきます。そして、精神的には興奮したり、落ちつきがなくなったりすることもあります。

 

3.どんな患者さんに適応か

どんな患者さんに適応か

歯科治療に不安や不快を感じない患者さんはいないでしょう。治療の内容がごく簡単なものでも、やはり不安感を持つものです。その意味からすると、どんな患者さんにも、どんな処置内容であっても適応と思われます。
なかでも、特に笑気吸入鎮静法が必要な症例は、次のようなときです。

(1)歯科治療に不安感、恐怖心、不快感を持っている患者さん
(2)いわゆる神経質な患者さん
(3)小児を歯科治療の非協力児にさせないために
(4)ストレスに対する予備力の低い高齢者
(5)既往歴に歯科治療中の神経性ショック、脳貧血様発作、疼痛性ショックを有する患者さん
(6)心疾患、高血圧など内科的慢性疾患を持ち、歯科治療のストレスを軽減すべき患者さん
(7)嘔吐反射の強い患者さん

鼻閉などにより鼻呼吸のできない患者さんには物理的に無理ですが、本来歯科治寮における禁忌症でなく、通院できる体力を有する患者さんであれば安全に使用できます。

 

IV.笑気吸入鎮静法の実際

1.吸入開始から終りまで

(1)患者さんにとって最も楽な姿勢(水平位より30°ほど起こした状態)にします。このときから鎮静の障害になるような照明、雑音、私語に気をつけます。
(2)鼻マスクを装着し、ガスが漏れないように適合させます。必要以上に強く締め付けることはありません。初めての吸入では、鼻マスクを自分で装着させ、そのまましばらく持たせておきます。
(3)まず15~20%の笑気を吸入させます。流量を調節して笑気吸入装置のバッグが患者さんの呼吸に応じて適度に膨らみ、鼻呼吸が楽にできているかを確認します。
(4)患者さんの状態をよく観察しながら笑気の濃度を5%づつ上昇させます。同時に患者さんが自然にリラックスできるように話しかけ、言葉による暗示で誘導します。
(5)患者さんの表情が穏やかになり、術者の問いかけに対し、反応が鈍になると、至適鎮静度です。治療を開始してください。治療を始めて、患者さんが少し緊張するようなら、吸入笑気濃度を5%ほど上げます。
(6)治療中は通常30%以下の笑気濃度で行います。効果が少ないからといって、不用意に笑気濃度を上げないようにしましょう。

 

2.治療の後は

(1)治療が終了する少し前に笑気の吸入を停止し、鼻マスクを除くか、そのまま空気を吸入させます。このとき「気持よくさめますよ」と暗示を与えます。
(2)治療終了後は、歩行にふらつきがないことを確かめ、待合室へ移動させます。その後は、次回の予約や治療費精算の時に、気分が戻ったことをたずね、そのまま帰宅させます。特に介助者は必要ありません。

 

V.笑気吸入鎮静器の取扱い

1.サイコリッチT-70について

笑気吸入装置には、ガスの流出方式から、持続流出型(吸入ガスは流量計によって制御され、患者さんの換気量に関係なく持続的に流出する)と間歇流出型(吸入ガスはダイヤルをセットすることによって制御され、患者さんの吸入時にのみ流出し呼気時には停止する)の2種類があり、サイコリッチT-70は前者の持続流出型を採用しています。

持続流出型は、間歇流出型と比べて
●患者さんに無理な吸気努力をさせたり、吸入ガスを加圧して不快感を与えることもなく、自然で快適な吸入が行える。
●吸入ガスの濃度は換気量に左右されず常に一定である。
●耳障りな器械的作動音がない。
●鼻マスクの装着に必要以上に神経を使わずにすむ。
●吸入ガスの流量及び流出状態が常に確認できる。
等々…多くのメリットを有し、特にサイコリッチT-70では、予め総流量を設定しておけば混合比がワンタッチで調節できる新方式のガス混合機構を採用し、使い易さを向上させてあります。

 

2.各部の名称

各部の名称

(1)流量ダイヤル
(2)濃度ダイヤル
(3)酸素ガス流量計
(4)笑気ガス流量計
(5)高濃度ボタン
(6)酸素フラッシュレバー
(7)混合ガス流出口
(8)リザーババッグ
(9)加湿器
(10)エアーインテークバルブ
(11)動力源酸素ガス取出口

 

3.操作の手順

操作の手順


(1)濃度調節つまみ(2)を左へ廻し、ダイヤルをOFFの位置からN2O 0%の位置にセットするとONの状態になり、酸素のみが流出します。



(2)流量調節つまみ(1)を廻しリザーババッグ(8)が患者さんの呼吸に応じて適度に膨らみ鼻呼吸が楽にできる程度に、酸素流量計(3)を見ながら総流量を設定して下さい。



(3)濃度調節つまみ(2)を更に左へ廻し、ダイヤルのN2Oの%表示を確認しながら笑気濃度を徐々に上げ、濃度を設定して下さい。



(4)治療が終了したら、濃度調節つまみ(2)を右へ廻し、ダイヤルをN2O 0%の位置へ戻します。



(5)濃度調節つまみ(2)を更に右へ廻し、ダイヤルをOFFの位置に戻し、ガスの流出をとめて下さい。

 

4.ガスの供給について

笑気吸入鎮静器へのガスの供給方式は、ボンベと吸入装置との接続方式から携帯方式と中央方式の2種類があります。
携帯方式は、直接吸入装置にボンベを接続する方式で、吸入装置の架台に比較的小容量のボンベを取付けて移動させる移動式タイプがこれに該当します。
中央方式は、複数の大容量の酸素及び笑気ボンベを治療室から隔離した場所に設置し、ガスは天井又は床下などに設備された配管を通って治療室内の床や壁に設置されたアウトレットから供給され、さらに耐圧ホースによって吸入装置に接続、供給される方式で、一般に〔セントラルパイピングシステム〕と呼ばれています。この方式では、アウトレット内のソケットが酸素、笑気それぞれ径が異なるために、耐圧ホースのプラグを誤って他のガス用のソケットに差し込まれることのないようにできています。

 

VI.笑気吸入鎮静法を成功させるための注意

1.非協力児に対して

非協力児に対して

精神鎮静法は泣き叫んで暴れる子供を黙らせるものではありません。あくまで患者さんの治療を受け入れる意志が主体であり、その上で精神鎮静法は成り立つとされています。ですから、術者の言うことは理解できるが、非常に恐怖心が強いために治療に協力できない小児の場合、治療の前にラポールを確立させ、鼻マスクで鼻呼吸することを教育します。そうすれば笑気吸入沈静法はきわめて有効に使用できます。

 

2.障害者に対して

障害者の場合、障害の種類と程度によって笑気吸入鎮静法の有効性は異なります。軽度の精神発達遅滞児および自閉症児で、術者とある程度のコミュニケーションがとれる場合は健常者と同様の効果が期待できます。

 

3.高齢者に対して

高齢者に対して

高齢者(およそ65歳以上)では一般に若年者や成人に比べ、局所麻酔や歯科治療に対する恐怖、嫌悪感はそれほど強くありません。しかし、加齢による各種臓器の機能低下、予備力低下があり、歯科治療のようなストレスによって容易に異常を来すことがあります。特に循環器においては、動脈硬化による異常が潜在的に存在するので、笑気吸入鎮静法の適用が望まれます。
鎮静に必要な笑気の濃痩は小児や成人よりも低濃度で済むことが多くみられます。笑気の吸入直後は交感神経の軽度の興奮状態が認められるので、局所麻酔は十分に鎮静された状態(吸入後5~10分)のときに行います。また、気管支粘膜の線毛上皮運動が低下し、去痰を障害する可能性があるので、ガスは加湿して吸入させるのがよいでしょう。
高齢者ではできるだけ十分な問診と、鎮静前から鎮静後にわたって全身状態を把握し、注意深い観察をすべきです。これは高齢者の治療に対する基本的な事です。

 

4.高血圧、心疾患を持つ患者さんに対して

高血圧、心疾患を持つ患者さんに対して

循環器疾患を持つ患者さんに対して、不安、恐怖、痺痛など歯科治療のストレス(我慢)を与えると、血圧や心拍数は容易に大きな変動を見せ、血管や心臓に思わぬ大きな負担をかけます。すなわち異常な高血圧や不整脈が出現し、対処が遅れると狭心症や重篤な循環不全に陥ってしまいます。
そこで歯科治療に際しては、患者さんを精神的にリラックスさせ、無痛的処置を心がけ、血圧、心拍数を安定させることが基本的に必要です。
高血圧のみであれば治療前の血圧測定は必ず行いましょう。治療中は笑気吸入鎮静下にストレスの軽減をはかり、できるだけ血圧の変動を少なく保つようにします。
心疾患を有していれば、笑気吸入鎮静法によって精神的ストレスを極力除き、脈拍の変動に注意してください。笑気吸入鎮静法における70%以上の酸素の投与は、心筋が低酸素状態になって、不整脈が発生するのを防ぎ、安全な歯科治療を行う上できわめて有益な対策といえます。

 

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